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Little Miss One-way

思いつくままに恋愛小説をつづります。 大学生同士のちょっと変わった恋愛を書いた 「いびつなハート」連載中です。

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2008/10/29

いびつなハート 19 クリスマス

 家に帰り、時計を見ると十一時を超えていた。簡単にコンビニのおにぎりで夜食をとり、炬燵に入りテレビを見ていると眠たくなった。
 ベッドに入ろうと炬燵の上の携帯電話をとり移動する。そのとき携帯のお知らせランプが点滅しているのにはじめて気づいた。清水谷くんからメールが入っていた。
「あしたたのしみにしてる」
 短い一文だった。拍子抜けしつつ、なんて返そうかちょっと考え、メールを打つ。
「わたしも! あしたね」
 こっちも気負わず簡単な文章で返すと、明日が本当に楽しみになってきて、冷たいベッドに滑り込み、いつの間にか眠っていた。
 
 翌日。準備ができてベッドに座っていると、ピンポン、とチャイムの音がした。あわてて玄関に走る。扉を開けると実花が立っていた。ピンク色のやわらかそうなモヘアのコートがよく似合っている。
「おはよう。二人とも車で待ってるからいこ」
「おはよう。車でいくんだ? あの木下の?」
「そう。あのぼろでいきます。でもPランドだから一時間ぐらいの辛抱だよ」
 木下の車はかなりぼろくってがたがたで乗り心地が悪い。どうしても楽器を乗せて運びたくて、お金がないのに無理やり買ったかららしい。
 車に着くと運転席に木下、後ろの席に清水谷くんが乗っていた。実花は助手席に乗り込み、私も後ろの席に乗り込む。
「おはよう」
 木下と清水谷くんに挨拶する。木下はおう、と無愛想に返事をして、清水谷くんはちょっと照れたような顔をしながらにこっと微笑んで会釈をした。二人とも車の中なのに帽子をかぶっている。木下はもこもこした灰色のニット帽、清水谷くんは黒の皮のような生地のハットだ。
「そんじゃ、いくか」
 木下はそう言うと車を発進させた。相変わらずがたがたと上下振動が激しい車だ。
「Pランドか。初めていくかも」
 と私がつぶやくと木下と清水谷くんが俺も、と口々に言った。
「そっか、行ったことあるの私だけか。クリスマスはイルミネーションがついてて綺麗だよ」
「じゃあ、言いだしっぺだし、実花案内しろよ。任せた」
「任せといて」
 そんなこんなで行きの道中は、木下と実花のやりとりに四人で声をあげて笑い、盛り上がりながらPランドに向かった。

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2008/11/30

いびつなハート20 クリスマス2

 途中道草しつつ、一時間半ぐらいでPランドに着いた。入口のところで園内マップを手に取る。Pランドは海浜公園とショッピングモールと簡単なアミューズメントパークがごっちゃになったようなテーマパークだ。入口部分から左右にショッピングモールが続いていて、ショッピングモールを真っ直ぐ通り抜けると外に出る。外は海に面していて、左側に大きな観覧車や小さいジェットコースターなどの乗り物があって、右側は植木やベンチなどが並ぶ公園になっているようだ。
 実花の案内でまずはショッピングモールを見て回ることにした。歩いている時も自然に実花と木下、私と清水谷くんがペアになる。というのも実花が木下の隣りにぴったりくっついているからだけど……。実花は木下の腕に腕をからめていて、木下もべつに意識するわけでもなく自然にしていた。私と清水谷くんは五センチぐらいの距離を保って歩いていた。なんとなく落ち着かない。
 先を歩いていた実花があっと声をあげて止まった。雑貨屋さんの入り口のところに飾られていた白いニット帽が気になった様子。詰まっていた丸めたビニールを取り出すと、ニット帽をかぶり、満面の笑みで私たちのほうを振り向いて言った。
「見てみて! 木下とおそろいっぽくない?」
「おそろいっぽいし、めっちゃ似合う」
 私が答えるとへへ、と照れ笑いして言う。
「買っちゃおうかな……」
「その前に他のも見てみれば? 俺は帽子にはちょっとうるさいよ?」
 木下がそう言って店の奥に入って行った。実花がうれしそうに
「選んでくれるの?」
 と言いながらあとに続いていった。
「あきちゃんにはこれが似合いそう」
 清水谷くんがそう言って白いニット帽の隣りにあったチェックのキャスケットをかぶせると、ほら、といって近くにある鏡を指差した。確かに自分の好みの感じで一目で気に入っていた。
「かわいいね、気に入った」
 清水谷くんを振り向いて言うと、清水谷くんはにっこり笑って私の頭から帽子をとると奥に入って行った。買ってくれる気なのだ。
「いいよ、自分で買うし……」
 といって追いかける。清水谷くんはくるりと振り返って
「俺が今日一日この帽子かぶってるあきちゃん見てたいから、買ってあげたいんだ」
 といってさっさと会計を始めた。しかし、なんというきざなセリフなのか、耳まで真っ赤になってしまった。ぼーっとしていると、清水谷くんは会計を済ませて戻ってきた。そして店員さんにタグを切ってもらった帽子をフワッと私の頭に乗せて、また優しくにっこと笑った。私への好意を少しも隠さないその態度にドキドキしてしまう。
 実花と木下も帽子を選び終わって店から出てきた。実花はさっきのニット帽よりももこもこした、コートとおなじ薄いピンク色のニット帽をかぶっていた。
「木下が選んだの?」
 ちょっと冷やかすように実花の帽子を指差して聞く。
「まあね、さっきのより実花に似合ってるだろ?」
 と木下が得意げに言った。実花がうれしそうに笑っている。
「おまえも似合ってるよ、それ」
 木下もニヤニヤと冷やかすように言った。思わず顔が赤らむ。……仕返しされたみたいだ。
 その後もぶらぶらとショッピングモールを見て、少し遅い昼食をとると、海を見に公園のほうに向かった。

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2008/12/28

いびつなハート21 クリスマス3

 公園では路上ライブをしている人たちが何人かいて、木下と清水谷くんが俄然興奮しだした。すぐ目の前でベース、キーボード、ドラム、ギターボーカルの四人組のバンドが準備をしていた。機材を見て木下が言う。
「充電式のアンプかぁ。俺も買おうかな」
「木下路上ライブなんかするの? ベース一本で? はなわ?」
 すかさず実花が突っ込みを入れる。
「俺だってギターぐらい弾けるよ。ていうかミドルガーデンでやるかもしれないだろ」
「あんなうるさい曲ばっかのバンド路上で出来ねえよ」
 清水谷くんも苦笑いで会話に加わる。そんな感じで盛り上がっていたとき、突然呼びかける声が響いた。
「芸くん!? 譲二!?」
 路上ライブの準備をしていた女の子がサラッとショートカットの黒髪を揺らしてこちらを向いた。高さを調整していたらしいマイクスタンドをそのままにして駆け寄ってくる。
「レイコ……!」
「レイコちゃん!」
 木下は顔を真っ赤にして固まっている。清水谷くんも驚いた表情で駆け寄ってくる子を見つめていた。この前清水谷くんが言っていたえりに似ているという「レイコちゃん」らしい。顔自体はそこまで似ていないみたいけど、体型とか全体の印象がたしかに似ている。レイコちゃんは駆け寄ってくると懐かしそうに言った。
「三年ぶりかな? 二人とも元気だった? いまみんなこっちにいるんだね!」
「うん、俺らは大学がこっちなんだ。レイコちゃんがいるなんてびっくりしたよ。髪切っちゃったんだね」
 清水谷くんもニコニコと応じる。
「私あのころいろいろあってさ、学校やめて逃げちゃった。こっちにいる友達頼って来てね。今はバンドとアルバイトしながら一人で暮らしてるんだ」
 ちょっと寂しそうな顔でレイコちゃんが言う。
「そうだよお前連絡もなくいなくなってさ! なんか言っていけよ」
 そこで初めて木下が口を開いた。ちょっと怒ったような、ふざけたような口調だけどレイコちゃんを見つめる目は真剣だった。
「えへへ、ごめんね」
 レイコちゃんも茶化すような言い方で答えた。でも木下を見つめ返す目は真剣だった。
「あ、デート中だよね。邪魔してごめんね。また連絡するから。あと三十分でライブ始まるからよかったら見てね」
 二人に漂った微妙な空気を振り払うように、レイコちゃんはそう切り出すと二人と連絡先を交換して戻って行った。
「声とか、雰囲気とか、えりちゃんに似てるね。あれで髪長かったらそっくり」
 レイコちゃんの後ろ姿を見送りながら、独り言のように実花がつぶやいた。

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2009/01/04

いびつなハート22 クリスマス4

「さっきの子、レイコっていって俺と清水谷の地元の知り合いでさ、今日偶然四年ぶりぐらいに会ったんだけど。今から路上ライブやるみたいで……急だけどちょっと見ていきたいんだけどいい?」
 いつになく申し訳なさそうに木下が私たちに聞いた。
「もちろん、かまわんよ」
 ちょっとふざけて実花が答える。私ももちろんOK、ということで路上ライブを見ていくことになった。
 レイコちゃんのバンドは「ダークチェリー」というバンドで、レイコちゃんはギターボーカル、その他のメンバーは皆男の子だ。演奏が始まるとレイコちゃんの力強い声がPランド全体に響いた。曲は軽快なものからバラードまで幅広い。
「……演奏うまいな」
「……うまいね。本格的にやってるんだね」
 私にはわからなかったけど、木下と清水谷くんは演奏のレベルの高さに驚いたようだ。自分たちと比べてちょっと悔しいみたいだ。私と実花そっちのけで真剣に演奏を聴いてはぽつぽつと話し合っている。
 実花はなんとなく、いろんなことを感じとったらしい。黙って演奏に聴き入っている。
 私はというと、じっくりと聴けば聴くほど、レイコちゃんの歌が素晴らしいので、いろいろ考えるのをやめて演奏を堪能していた。
「ダークチェリーでした。ありがとうございました!」
 レイコちゃんの締めの一言で路上ライブが終わった。ぱらぱらと拍手が鳴り出し次第に大きくなっていった。私達も大きく拍手する。
「ごめんね、急に止まっちゃって。行こうか」
 拍手が治まると、清水谷くんがそう切り出した。辺りを見ると少しずつ日が翳り始めていた。
「ううん、大丈夫。すごくよかった。ね、実花?」
「うん、もともとこうゆうの嫌いじゃないし!」
 実花もにっこりと答えた。
「ところで今からあれ、乗らない?」
 実花が大きな観覧車を指差していった。
「そろそろイルミネーションも点くし、綺麗だよ」
 全員賛成で乗り場にいくと、さすがにクリスマスの夜とあって、長蛇の列ができていた。チケットを買って乗り場まで続く鉄骨の階段に並ぶ。
 さすがに日が翳ってくると冷えてきた。少しだけ列から外れ、階段の手すりに両腕を掛け、遠く夕日に染まった空を見ながら冬の昼は短いなあ、とか考えていると、実花がこそこそ声で話しかけてきた。
「あのさ、ここの観覧車四人乗りだけど、私木下と二人で乗りたい」
 まあ、何人乗りでもそうなるだろうと思っていたけど。ちょっと清水谷くんと二人っきりは緊張するなあと思いつつ、ここは実花のため一肌脱ぐことにする。
「了解。先に木下引っ張って乗っちゃって」
 こくこくと実花が頷きながら列に戻っていく。私もあとに続く。
 私たちの順番が来るころには、あたりはすっかり薄暗くなっていた。イルミネーションも点灯し始めたようだ。実花と木下がひとつ前のゴンドラに乗って離れていった。手を振って見送ると、私と清水谷くんもゴンドラに乗った。

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2009/02/08

いびつなハート23 クリスマス5

 ゴンドラに乗り込み、横の窓から外を覗きこんだ。
 外はもう暗く、うっすらと白い月が浮かんでいて、遠くの空の夕焼けの赤みも今はほとんど消えていた。地上ではイルミネーションのライトがちかちかと点灯している。
 しばし外の景色に見とれて無言になっていた。清水谷くんも、向かい側に座って私が覗きこんでいる側の窓から同じように外の景色を眺めていた。
 ふと清水谷くんが外を見たままつぶやいた。沈黙が破られる。
「ばればれだよな」
「え、なにが?」
 唐突な一言に反応して清水谷くんのほうを向いた。
「実花ちゃん、木下のことすごい好きでしょ」
 それを聞いてなんだ、と思わず笑みがこぼれる。また窓の外に目を移した。
「まあね、もう入学してすぐぐらいからあんな感じだね。でもはっきり好きだって言ってるのは私は聞いたことないけど」
「そうなんだ」
 清水谷くんはちょっと驚いたような意外そうな反応をする。
「でも今、もしかして告白の真っ最中かもね。さっき観覧車は二人にしてって言われたし」
 と言って思わずにやにや笑いをした。清水谷くんはふぅ、と一呼吸おくと、窓から離れしっかり真正面を向き
「それは俺にとっても好都合だったな」
 と言って真顔になった。私もにやにやから一転、つられて真面目な顔になる。
「あきちゃん、彼氏はいないよね? 好きなやつとかいるの?」
 結構単刀直入だ。まあ好きな人いるといえばいるんだろうか。加川くんの顔が浮かんだ。でも……。返事ができずにまごついていると、清水谷くんが続ける。
「もうわかってると思うけど、俺あきちゃんのこと好きだよ」
 まっすぐに視線を合わせてきて、そらすこともできない。いつものような優しい表情からは遠い、真剣な顔つきだ。
「ごめん私……」
 何と言っていいか分からず、でも返事をしようと答えかかると、それを遮るように清水谷くんがまた言葉をつなぐ。
「気になるやつがいるんじゃないかなってなんとなく思ってた。ちがう?」
 少しためらって、うなずく。加川くんのこと好きだ。でも恋人になる見込みがあるかといわれれば多分ノーだろう。清水谷くんのことも好きだけど、加川くんに対するような情熱があるかといえばノーだ。加川くんにとらわれている今の自分では清水谷くんと真剣に向き合うことはできない。でも清水谷くんの好意に甘えたい気持ちも素直にあって、ここで結論を出したくなかった。ずるいかもしれないけど。
「今日は好きって伝えたかっただけだから。考えといて」
 ぐるぐると思考を巡らせていると清水谷くんがそう言った
「うん、ごめんね」
 そういうと、清水谷くんはにっこり笑った。そして思い出したように言った。
「さて、あの二人はどうなったかな」

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2009/04/03

いびつなハート24 クリスマス6

 観覧車は一周のうちの半分以上を過ぎて、乗り場からは反対側に当たる海側が見渡せる位置に来ていた。ちょうど清水谷くんの背中の窓から、海側の夜景が見える。すっかり暗くなった海の向こう側が明るく光っている。湾の向こう側の街の明かりが見えるのだ。左側のふ頭からはオレンジの明りをつけたフェリーが出入りしていた。
 私は窓の外を指して言った。
「見てみて、窓の外すごい夜景きれいだよ」
 清水谷くんも振り返るとおお、と声を上げた。
「海側のほうが遊園地のイルミネーションよりきれいだね。こっちに座ってると見にくいな。そっちに座ってもいい?」
「うん、……でも重さが偏ってゴンドラ引っくり返るかも?」
 私がふざけて言うと清水谷くんもくすりと笑って
「試してみようか。勢いよく座ったら一回転するかもね」
 そういって立ち上がった。私は清水谷くんが座れるよう横に詰めた。そこに清水谷くんが勢いをつけてお尻からドスン、と座る。ゴンドラは私の予想以上にぐらぐらと揺れ、少しだけ傾いて静止した。思わず清水谷くんのコートにつかまっていたことに気づく。清水谷くんもそれに気づくと
「僥倖、僥倖」
 と言ってニコニコした。私は少し照れる。
 告白されて、答えを濁したとはいえ、現時点では断ったようなものだというのに、清水谷くんとは気まずい雰囲気もなく、逆に打ち解けたような雰囲気になっていた。心なしか清水谷くんもすっきりとした表情になった気がする。
 そうしてゴンドラは出発地点に戻ってきた。先に降りて出口で待っている木下と実花に合流する。二人は一見乗る前と何の変化もないようだった。でも私には何となくわかってしまった。二人の間のほんの数センチの空気に、実花の行き場がないように不自然に下ろされた右手に、観覧車での二人がどうだったかが察せられた。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
 大きな声で、元気よく実花が言った。空元気を出しているみたいでなんとなく不自然だった。
「そうだ! 今日はあきの家にほんとにとまっていい?」
 また明るく実花がいった。
「珍しいじゃん、いつもオールするときにのアリバイ作りなのに」
 木下が茶化して言う。その様子もいつも通りなのだけどどことなくぎこちないような気がした。
「いいよ。じゃあ今日は実花はうちにお泊りね」
「じゃあ、まずあきんちに二人送ってくわ」
 などと話しながら出口に向かって歩き出す。
 クリスマスのPランドはまだまだ閉園する気配もなくたくさんの人で賑わっていた。不意に後ろからドーンという音がして振り返ると花火が上がっていた。私たちもだれともなく足を止めて花火に見入っていた。
 クリスマス特製なのか、白とピンクの二重のハートが幾重にも上り、冬の空にパラパラと散っていった。

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2009/04/06

いびつなハート25 夢のあとさき

 花火が終わってから帰り道のファミレスでご飯を食べて、私の家まで送ってもらった。
「じゃあね、ありがと。お疲れ様」
 実花と私が口ぐちにそう言って車を降りると、木下はいつものようにおおぅ、と気の抜けた返事で応対し、清水谷くんはニコッと笑ってうなずいた。
 部屋に実花を通すとさっと片づけて、炬燵を畳むと、ベッドの横に布団を敷くスペースを確保する。
「おじゃましまーす」
 と言って実花が遠慮がちに部屋に入ってくる。
「お布団敷くから、先にシャワーでもどう?そこのドアがお風呂。」
 そう言ってタオルと適当な部屋着を渡すと
「ではお言葉に甘えまして。いやあ至れり尽くせりだねえ」
 と軽口を叩いてお風呂場に入って行った。間もなくシャワーの音が響く。その間に来客用の布団を敷いて、小さいテーブルを出す。さっき点けたエアコンのおかげで部屋が徐々に温まってきている。それでもこの安アパートでは寒さをしのぐには不十分で、特に床に敷いた布団は冷えるものだ。ストーブを出してきてつける。これでレンジでもつけたらブレーカーが落ちそうだ。
 冷蔵庫を物色するとコンビニの福引で当たったスパークリングワインがあった。アルコール八パーセント、うっすらピンク色。当たったことすらすっかり忘れていたけどちょうどよかった。買いおきの袋菓子とプラスチックコップと一緒にテーブルに置いた。
 テレビをつけてぼーっとして、ふと携帯を見るとメール着信のお知らせメールが来ていた。
「きょうはおつかれ。たのしかった」
 清水谷くんだった。また短いメール。でもなんとなくほっと安心する感じがした。
「おつかれ。たのしかったね。またどこかいこう」
 そう簡単に返事を送ってテレビをみていると、私の部屋着を着た実花がお風呂から出てきた。
「お先にいただきました。ん? どうしたのにこにこして?」
 知らないうちににやけていたようだ。恥ずかしくなってそそくさと席を立つ。
「な、なんでもない。お風呂行ってくる。よかったらそこのお酒飲んでて」
「へんなの。でもまあ、いただいてます」
 シャワーを浴びて出ると実花が布団を膝にかけて、テレビを見ながらちびちびとワインをのんでいた。すでに耳が心持ち赤い。私もベッドに座る。実花がコップにワインを注いでくれた。
「今日さ、木下に好きって言った。付き合ってって」
 唐突に実花が言った。視線はテレビに向けたままだ。
「観覧車で?」
「そう」
「そうかなっておもった。で、木下なんだって?」
 実花がこちらにまっすぐ視線を移す。
「よくわかんないって」
「え?」
「最近いろいろあってよくわかんないって。おまえのことは嫌いじゃないけど今は付き合えないって」
 最近いろいろあってっていうのはレイコちゃんのことなんだろう。ちょっとタイミングが悪かったかもしれない。私は清水谷くんに聞いたことも交えて、レイコちゃんの話をした。地元で仲が良かったこと、木下たちの前から突然いなくなったこと、えりちゃんに似ていて、木下がえりちゃんに会ったとき明らかに動揺してたこと、そんな彼女に今日再開したこと。
「でもさ、大学入ってからいままでずっとそばにいたのにさ、そんなずっと会ってなかった子に負けるのかな」
 実花がだんだん泣き調子になってくる。
「でも振られたわけじゃないしまだ負けてないよ、でしょ?」
「とりあえず今まで通りでいたいって言われた」
「今までだって普通の友達よりはかなり仲いいんだから」
 一生懸命励ますと実花もだんだん表情が明るくなって来た。
「うん、まだあきらめないよ! ……ところであきはさあ、どうだったの?」
 矛先がこっちに向いてしまった。
「ええっと、好きって言われたけど……保留」
「何保留って! ……まあ、まだちゃんと話すようになって数日だもんねえ」
 実花は仕方ないか、というようにうなずいた。他の理由には思い当たらないらしい。
 そのままワインを飲みながらいろいろな話をした。主には実花がいかに木下を好きかみたいな話だったけど。そして二人とも眠くなってきたので、電気を消してそのまま寝る態勢になってぽつぽつと話していた。
「レイコちゃんってかわいくて歌もうまくてさ、やっぱ木下も音楽やってるからああゆう才能に魅かれるみたいなとこあるのかな……」
 半分眠っているような声で実花がつぶやいた。恋する悩める乙女だ。
「そうゆうのもあるかもしれないけど、実花には実花の良さがあるんだから。大丈夫」
 私も失いかけの意識の中で答える。
「こんなふうにあきとふたりでゆっくり話したの初めてだね、よかった」
「私も」
 そう言って二人でふふふ、と笑うと多分二人とも同時に眠りに落ちて行った。

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2009/04/11

影山くんの奇妙な日常 第二話の1

 俺は影山真人、大学二年生。勉強はそこそこにバンド活動とバイトに勤しむ毎日だ。
 バンドではボーカルをやっていてそこそこ人気がある。そして自分で言うのもなんだけど結構もてる。でも俺はあまり女性と付き合うのが得意じゃなくて特定の彼女はいない。これは姉三人に囲まれて育ったせいだと思っているが因果関係は定かでない。
 今日は十二月二十三日、クリスマスイブイブってやつだ。俺は大学の友人とやっているバンドのライブのため、ライブハウスFの控室に来ていた。今は対バンしてくれたレナーレというバンドがステージで演奏している。俺は喉に優しいという温かいハーブティーを飲みながら、本番で忘れないようにプリントアウトした歌詞を見ていた。隣ではドラムの玲がスティックでテーブルを叩いて練習している。
 ふと玲のスティックを握る指が目にとまった。黒いマニキュアを塗っている。
「玲、どうしたんだよ、その爪」
 俺は思わず玲に聞いた。よくぞ気付いた、とばかりに手を止めて玲が答える。
「かわいいだろ? ヤスに塗ってもらったんだよ」
 ヤスは玲が可愛がっている軽音サークルの後輩だ。今日も裏でなにかと手伝いをしてくれた。
「ふーん」
 そう言ったきり後が続かない。わざわざ聞いた割にそっけない反応をしてしまったのは、初恋の女性を思い出していたからだった。俺が黙ったので、玲もすぐにテーブルを叩くのを再開した。そして俺は俺で、黒いマニキュアを見てそれとは対照的な真っ白な女性を思い出していた。

 高校一年生の夏休みだったと思う。俺はもう日が高くなってから起きだして楽器やオーディオ関係が置いてある離れの二階へ行った。中二からバンドなどに興味を持ち始めた俺のために、親がうるさいからと物置の二階を俺用のスペースにしてくれたのだ。
 その日も外は晴天で暑く、離れは閉め切られて蒸していた。俺は部屋に入ると年代物のエアコンのスイッチを入れた。部屋の奥の窓をからりと開け、空気を入れ替える。そうでもしないとエアコンが効き始める間に干からびてしまいそうだった。
 不意に窓の外から水音が聞こえ、俺は反射的に窓から音のするほうを見た。そこが隣の家の風呂なのだと認識したのはかなり後になってからだったと思う。隣の家の一階の曇りガラスの窓が十センチほど開いて、そこからシャワーの水音が漏れていた。
 中にいるのは若い女性の様で、隣の家の娘さんだとそのとき直感した。家族にミユキと呼ばれているのを聞いたことがあった。
 窓の隙間からは、真っ白な肩からうなじ、そこから続く顎から鼻のあたりまでが見えた。外に比べて薄暗い風呂場に真っ白い肌が浮き立っていて、その眩しいほど白い二の腕に、赤い線が走っていた。傷だ。蚯蚓腫れのような長い傷。白い肌と真っ赤な傷がゆるゆると動くその光景に、俺は思わず息をのみ、目が離せなくなった。
 何秒かその光景を呆然と見ていたと思う。白い腕が窓の淵に伸びてきた。ミユキが窓が開いていることに気付いて、閉めるために窓に近づいてきたのだ。まずい、覗いているのがばれる、と思ったが体も目線も動かせなかった。白い手が曇りガラスの窓にかかる。
 窓を閉めるとき、一瞬ミユキは上を見上げ、俺は目が合ったような気がした。シャワーで火照ったのか、不自然なぐらい赤くなったミユキの唇が目に焼きついた。

 それから俺はミユキのことばかり考えて悶々としていた。お隣さんなので、出かけるときに家の前で顔を合わせることがあった。ミユキは当時大学生で、自転車で通学していたようだった。自転車をガレージに止めているのをよく見かけ、俺が勇気を振り絞って挨拶すると、振り返ってあら、こんにちはと微笑んだ。清楚なお嬢さんと言って出で立ちで、その上品な笑顔に胸が熱くなった。もっと仲良くなりたい、何か話しかけるきっかけがほしいと願っていたが、残念ながら挨拶する以外に接点はなかった。

二話の2へ
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2009/04/13

影山くんの奇妙な日常 第二話の2

 その日は夏休みの真ん中辺の登校日で、夏本番の太陽が照りつける暑い日だった。たらたらと家に向かって歩いていると、十メートルぐらい手前で家の前に一番上の姉とミユキが立っているのに気付いた。この暑いのに家の前で世間話に花を咲かせているようだ。
 暑くて意識が朦朧としていたのが、一瞬にして緊張した。うまくいけば姉との話の中に加わってこれを機に仲良くなれるかもしれない。そう思って期待に胸を高鳴らせていた。
 しかし家に近付くにつれて、ミユキの横にもう一人だれか立っているのが見えた。男だった。誰だろうと思いを巡らせる間もなく家の前に着く。姉が、あらおかえりなさいと言って俺を迎えると、
「真人、こちらカオルくん、小さいころ一緒に遊んだの覚えてない?」
 そういってミユキの隣に立っている男を指した。背が高く、眼鏡の奥の目が優しそうな好青年だ。確かに見覚えがある。小さいころここら辺に住んでいたけど引っ越してしまったお兄さんだった。よく遊んでもらった。カオルは嬉しそうに言った。
「真人くん大きくなったなあ」
「こんにちは。お久しぶりです。」
 笑顔で挨拶をする。しかし俺は嫌な予感がしていた。
「ねぇ、真人。カオルくんとミユキちゃんお付き合いしてるんだって。大学で偶然再会したんですって。びっくりするわねえ、二人ともちょっと前まで小学生だったのに」
 いやな予感は的中した。姉の言葉にふふふ、と目を合わせて笑う二人はどこから見てもお似合いだった。ミユキの天使のような微笑みが眩しい。彼氏がいることを想定していなかったわけではないけれど、こんな形で恋人といるところを目の当たりにしてしまうなんて。顔では微笑みを崩さなかったが、心はどんどん沈んでいった。早く家に入りたかった。
 じゃあまた、とかなんとか適当に挨拶して、おばさん化してペラペラ話している姉を残して家に入ると、すぐに離れに行きエアコンをつけた。窓も開けたけれど、当然あの時のように水音は聞こえてこなかった。
 恋に落ちた動機こそ不純で、性欲と紙一重だったけど、初めて女性に憧れを抱いたのに、あっという間に失恋してしまったのだ。
 あのミユキの真っ白な肌に触れ、傷に口づけするカオルが目を閉じるたびに浮かんできて、俺はまた悶々とした日々を過ごさなければならなかった。
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2009/04/29

いびつなハート26  God Bless

 年末は実家に帰って過ごし、新年が明けると学校が始まるより少し早目にアパートに戻ってきた。
 誰にも気兼ねせず、お昼に起きてコーヒーを入れ、炬燵に入る。実家を出て四月で丸二年になるけれど、実家にいる時よりも一人でアパートで過ごすほうが落ち着くようになってきた。のんびりコーヒーを飲んでいると、炬燵の上の携帯が鳴った。木下だった。
「もしもし」
「あ、俺俺。あけおめ。もう戻ってる?」
 今年も相変わらずハイテンションだ。声のトーンが嫌というほど高い。
「おめでとう。戻ってるよ。どうしたの?」
「初詣行こうぜ。学校の裏の神社あるじゃん? 今家近い奴に声かけてんの」
「お、いいね。で、誰誘ったの?」
「実花誘ったんだけどまだ親の実家にいるってさ。あと尾崎と、加川」
 どきん、と心臓が跳ねる。電話越しに伝わってしまうんじゃないかと思うぐらい動揺していた。木下はそんな私の様子には気付かないようだ。
「じゃあ五時に神社な」
 そう言って電話を切ってしまった。いきなり電話してきて、騒々しい奴だ。
 久しぶりに加川くんに会えると思うと胸のあたりがほわっと暖かくなって、同時に落ち着かなくなった。実花や清水谷くんの想いに中てられたのか、年末からずっと加川くんに会いたかった。でも私は加川くんの携帯を知らなかったし、家にいきなり押し掛けるほどかというとそれも違っていた。まだ二時前だったけど、私は出掛ける準備を始めた。

 五時少し前に神社の前に行くと、すでに木下と尾崎くんが居た。加川くんはまだ来ていないようだ。木下が私に気付くとおう、といつものようにぶっきらぼうに挨拶した。尾崎くんも気付いて、お互いにおめでとう、と新年らしい挨拶をする。
「それかぶってきたんだ」
 清水谷くんが買ってくれた茶色いチェックのキャスケットを指して木下が言う。
「うん、気に入ってるから」
 そう言うと木下はにやにやとちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
 誰からともなくそれぞれの年末年始の話をする。尾崎くんがお雑煮の地域差について語っているところで加川くんが歩いてくるのが見えた。
「その帽子!」
 私は加川くんを見て挨拶より先にそんな言葉が口を衝いて出た。加川くんも目を丸くして私の帽子を見ている。加川くんもチェックのキャスケットをかぶっていたのだ。私のよりも少し暗い茶色で、形も平たいけど、そっくりだ。
「おまえら、カブりすぎだぞ。帽子だけに」
 木下がくだらないことをいう。
「俺はもうずっと前からこれ愛用してんだよ。カブってきたのは萱野でしょ」
「私加川くんがそれかぶってんの初めて見たし、似合うやつ選んでもらったんだもん」
「俺だってこれもらいもんだし」
 などとやりあいながら神社に向かう。尾崎くんものんびりした口調で言う。
「その帽子二人ともすごい似合ってるよね。偶然カブったのもわかるよ」
「そう言えばお前らってなんとなく雰囲気似てんのかな」
 木下がそんなことを言い出し、ちょっとうれしくなる。でも少しでもうれしいそぶりを見せたら加川くんへの気持ちがばれてしまいそうで、そうかな、と無関心そうにした。加川くんもそうか? とそっけない反応だった。矛盾しているけどちょっとはうれしそうな反応を見たかったような気もした。
 鳥居を潜りまっすぐ参道を歩く。拝殿に着くとみんなお賽銭を出した。木下は四十五円、私は十五円、加川くんと尾崎くんは五円玉を出した。
「木下、何で四十五円なの」
 私は思わず聞いた。五円はご縁の語呂合わせだから、加川くんと尾崎くんはわかる。
「始終ご縁がありますようにだろ」
「うわ、始終って欲張りだね」
「俺も四十五円にしよ」
 木下の解説を聞いて尾崎くんが十円玉を出す。
「ゲンキンだね。お金のことだけに」
 また木下がくだらないことを言ったので、無視してさっさとお参りすることにした。
 手を合わせて目を閉じる。無事進級できますように、とかいろいろお願い事はあったけど、最後に加川くんともっと近くなれますように、と強くお祈りした。
 目を開けるともうみんなお祈りを終わっていた。顔を覗き込んでいた加川くんと目が合いドキッとする。親指で後ろを指して
「飲みに行くってさ」
 と言って先に歩きだした。私もキャスケット帽の加川くんのあとを追って歩き始めた。

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2009/05/17

影山くんの奇妙な日常 第二話の3

 ミユキに失恋した日から数日後、俺は初めてのスタジオ練習を経験した。スタジオでの練習は、当時の俺からしてみたら本格的に音楽を始めたって感じでうれしく、そして素晴らしく楽しかった。そのころは俺も真面目にギターを練習しててボーカルとサイドギターを担当していた。ドラムは玲でサイドギターとベースは三年生の先輩だったと思う。
 まだ夕方明るいうちに入って、出てくるときにはどっぷりと日が暮れていた。クーラーの効いたスタジオから外に出るとむわっとした熱気に包まれる。それと同時に向かいのイタリアンレストランからニンニクのいい香りが漂ってきて、ぺこぺこのお腹がキューと鳴った。思わずガラス張りの店を眺める。「ヌクイ・イタリアン」おしゃれでちょっと高そうな店だった。
 先輩がスタジオの精算をするのを待っていると、仲のよさそうなカップルが腕を組んで歩いてきた。どうやらヌクイ・イタリアンにはいるようだ。女のほうは黒いラメの入ったミニスカートで、胸元の大きく開いたキャミソールにジャケットを羽織っていた。化粧も髪型も男にもたれかかるようにして歩く姿もいかにもな感じの派手な女だったが、黒いストッキングの足はすらっとしていて、色香が漂ってた。
 男のほうの顔を何気なく見たとき、俺は固まった。カオルだったのだ。カオルは少しフォーマルなジャケットを着て紳士的に女をエスコートしていた。俺は呆然として二人がレストランに入っていくのを見送った。
 カオルがミユキを裏切っていることはまだピュアだった俺にはショックだった。あんなに綺麗で清純なミユキと付き合っておきながら、どうして他の女とも付き合わなければいけないのか。カオルを羨ましく思うよりは、理解できない気持ちのほうが強かった。今思えばただの友人や親戚だった可能性もあることに思い当たるのだが、そのときには全く思いつかなかったし、二人で歩いている時の親密なムードから深い関係にあると思い込んだ。そしてこのことをミユキに告げたらどう思うだろう、清純そうなミユキのことだからきっと悲しみ、カオルと別れるのではないか。浮気をするような男よりも自分のほうがミユキを幸せにできるのではないか、というところまで思いつめていた。
 とはいえ、このことをミユキに伝える機会はなく、わざわざ伝えに行く勇気も行動力もなく、高一の夏休みは淡々と過ぎて行った。

 夏休みも終わりごろ、俺はスタジオの下にある小さなライブハウスでライブをやった。地元で人気のあるバンドの前座としてだけれど、これも初めての経験だったのですこぶるテンションが上がった。演奏の出来栄えとかは全然覚えていないけど、とにかく楽しくて盛り上がったので達成感があった。周りもみんな上機嫌だった。すべてのバンドの演奏が終わり、片付けが終わって外に出ると結構遅い時間になっていた。これから打ち上げ。うきうきした気持ちのままスタジオの前でメンバーがそろうのを待っていると、向かいの「ヌクイ・イタリアン」から見覚えのあるカップルが出てきた。カオルとあの派手な女だった。お酒を飲んでいるのか二人とも上気した顔でべったりと寄り添い、繁華街とは反対側の、いかがわしいホテルのある方向に歩きだした。
 俺はライブでテンションが上がっていたせいか一気に頭に血が上り、気づくと二人を追いかけていた。追いかけてどうしようとしたのかは自分でもわからない。ミユキさんに悪いと思わないのか、と詰め寄るつもりだったのか、ミユキさんはおれが貰う、と啖呵をきるつもりだったのか。とにかく必死の勢いで追いかけていた。
 追いつきそうになったところで短い横断歩道に阻まれる。車通りが多く、信号を無視できる状態でもない。カオルもすぐ先にあるもう一つの横断歩道の信号待ちをしていた。カオルたちまでのほんの数メートルがもどかしい。
 だらしなく上着を着崩して、カオルにしなだれかかっている女が手前側に立っていた。行き交う車の合間に、改めてまじまじと女を観察する。思いのほか白い肌がピンク色に上気し、はだけた肩を抱えた手には黒いマニキュアが塗られ、白い肩に点々と浮かび上がっていた。その黒い点の上に一本の赤い筋が見えた。俺はギクリと身を震わせた。まさか。
 なり振りかまわずじっくりと顔をみる。女も俺のほうを見て、目が合った。少し驚いたような顔をしたが、にっと笑った。唇が毒々しいほどに赤かった。
 濃い化粧に、茶色のボブの女は、よく見れば間違いなくミユキだった。
 俺は一気に熱に浮かされたような状態から冷め、肩を落として元来た道を引き返した。
 スタジオ前まで戻ると上機嫌の玲に、どこ行ってたんだよいこうぜ、とかなんとか声をかけられて、言われるがままに打ち上げについて行ったが、テンションは上がらなかった。
 信号が赤でよかった。あのまま追いついていたら恥をかいただろう。あの派手な女がミユキだったことのショックからはなかなか立ち直れなかった。家の近所で見かけるときにはあんな恰好をしているところは一回も見たことがなかった。黒いロングヘアを時には一つにまとめて、清楚なブラウスやワンピースを着て穏やかな足取りで……。それまでミユキに抱いていた憧れのイメージが崩れていった。完全におれの独り相撲だったのだ。

「おい、そろそろ出番だぞ」
 玲の声ではっと回想から覚める、歌詞の確認はほとんどできていなかった。
「ぼーっとしちゃって大丈夫かよ?」
 玲が眉をひそめて言う。お前のせいで余計なこと思い出したんじゃないか。
「おまえのその爪のせいなんだよ」
 俺がそう言うと、玲はわけがわからない、という顔でスティックをもって立ち上がった。ベースの木下が
「じゃあ行こうぜ」
 とみんなに声をかけたのを合図に、俺も立ち上がり部屋を出た。ステージから嬌声と激しい演奏が聞こえてきた。
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2009/05/24

いびつなハート 27 つのる想い

「俺らどうせみんな家近いんだからさ、家飲みにしようぜ」
 神社から駅に向かって歩く道すがら、木下がそう言いだした。
「じゃあ言い出しっぺの木下の家に行こうよ」
 尾崎くんが言い、私と加川くんが賛成した。
「俺んちかよ。汚いけど我慢しろよ。俺バイクだから先行くぞ」
 木下は駐輪場のほうに歩きだした。
「木下、おれも後ろに乗せて」
 尾崎くんが木下を追いかける。
「じゃあチェック帽組は歩きで来いよ」
 そう言うと、木下と尾崎くんは後ろ手で手を振りながら遠ざかって行った。残された加川くんと私は歩きで木下の家に向かう。木下の家はここから十分ほど歩いた学校の近くのアパートだ。私も加川くんも行ったことがあって覚えていた。
 久しぶりに会えて、うれしい。二人になるとじわじわとその実感がわいてきた。できればゆっくりゆっくり歩きたい。そう思ったけど加川くんの歩く速度は思いのほか早くて、私は少し早足になる。追いかけるようにして歩いていると、いきなり加川くんが立ち止まった。勢いが付いていた私はぶつかりそうになる。急に加川くんとの距離が縮まる。加川くんが私の腕をぎゅっと引き寄せた。直後、すぐ横を車がすり抜けていった。後ろから車が来ていたのに、加川くんの後を付いていくのに必死で気付かなかったみたいだ。
「危なっかしいなあ」
 口の端を上げるいつもの笑い方で、加川くんが言った。つかまれている腕が熱い。心臓がぎゅうとして、顔が火照っているのがわかった。まともに顔が見れない。
「車来るから、こっち」
 そう言ってまた腕を引かれ、車通りの少ない横道に入るとき、加川くんの顔が近づいてきて、唇が触れた。柔らかくて冷たい感触。
「変な顔してるなよ、こうしたくなるだろ」
 すぐにそっぽを向いて呟くように言う。
「へ、変な顔はもともとだし」
 そう答えながら、今のキスのせいで気持ちがあふれてきて、どうしようもなかった。気持ちを抑えつけるように、力をこめて加川くんの手を握る。
「うわ、つめてっ」
 そう言って加川くんも手を握り返してきた。不思議とどきどきが落ち着いてくる。気持ちが充電されていく感じだ。
 もうすぐ木下の家が見えてくる。加川くんの早足は気付かないうちに私と同じ速度になっていた。
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2009/05/31

いびつなハート28 バランス

 木下の家に着くと、アパートの前にはもうバイクがとまっていた。木下の部屋は三○三号室。おじゃましまーす、と入っていくと、木下はなにやらばたばたと片付けをしていて、尾崎くんはキッチンの小さな冷蔵庫をあさっていた。そんな二人の様子に落ち着かず、しばらくそわそわと立っていると、冷蔵庫の扉の前にしゃがんだ尾崎くんが
「あー木下、おまえんち食べ物なんもねぇな! 酒ばっか!」
 といらいらした様子で叫んだ。足元には冷蔵庫から出したらしいビールの缶が並んでいる。
「だって俺家で飯食わないもん」
「まあそうか。よし、買い出しに行こう。誰かついてきて」
 尾崎くんの提案に木下と加川くんと私は顔を見合わせる。と同時に木下が
「じゃんけんぽいっ!」
 と叫んだ。とっさに木下と私はチョキ、加川くんがパーを出した。
「よし、加川、買い出し組ね」
 尾崎くんはそう言うと加川くんを引っ張って買い物に出かけた。
 木下は二人を送り出すと、冷蔵庫の前に並んだビールの缶をテーブルにせっせと運び、座布団に座って、隣の座椅子をぽんぽんと叩いた。私は座椅子に座る。
「先に始めてようぜ。今日は紅一点だから座椅子に座らせてやろう」
「それはどうも。じゃあ乾杯」
 ぱすんと缶を当てて、乾杯するとビールを飲む。十分に暖かくなった部屋で炬燵に入って飲むよく冷えたビールはおいしかった。
「おまえ清水谷とはどうよ?」
 一口飲むと早速木下はこんなことを言い出した。きっと聞きたくてしょうがなかったんだろう。
「どうって、別に。あれから会ってないし。あ、メールはしてるよ」
「あっそ。なんだつまんねえ。この間清水谷に会ったときにこにこしてたからさ」
「ふうん、休み中会ったんだ。そうか、実家の方で?」
「そうそう。清水谷と、……レイコと」
 レイコちゃんか……。クリスマスに会った彼女の顔が浮かび、それから泣きそうな実花の顔が浮かんだ
「高校んときよく行ったとことか行ってさ、楽しかった」
 木下はちょっと遠くを見て笑みを浮かべながら言った。ビールをごくりと飲む。
「ところで、お前実花からいろいろ聞いてる?」
「うん、まあ、遊園地行ったときにきいた」
「そっか。じゃあお前にこんなこと言ったら、最低なやつだと思われるかもしれないけど……」
 そういって木下はビールを一口飲むと一呼吸おいた。
「俺、レイコのこと好きなんだ。もうどうしようもない」
 木下は悲しそうな、切なそうななんともいえない顔をしていた。こんな木下の顔は初めて見た様に思う。
「でも実花に言えない。実花の俺への気持ちは伝わってるし、実花に言ったらそれでもいいからっていわれそうで、そしたら俺、実花のこと振り回して傷つけそうでさ」
 木下はいつものように私が聞いていなくてもお構いなしという感じで、でも真剣に話していたけれど、私のほうはいつものように気を逸らすことはなかった。木下の言葉の一つ一つが胸にずしずしと響いた。
「実花は一生懸命だからね」
 私はあきらめないといった実花の表情を思い出していた。そして今の木下の真剣な表情。二人ともお互いを思いやる気持ちが溢れている。
「でも木下も一生懸命だから。自分の気持ちにはうそはつけないし。心配しなくても悪いようにはならないよ。大丈夫」
 私はそういうと木下に向けて思いっきり微笑んだ。
「お前、適当だな」
 木下はそう言って私のほっぺたをむにっと摘んで微笑むと、小さい声でうそうそ、ありがとな、と言った。

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2009/06/02

いびつなハート 29 ペット?

 それから木下の携帯に入っているレイコちゃんと清水谷くんと遊んだときの写真を見ながらちびちび飲んでいるところで、尾崎くんと加川くんが帰ってきた。
「おかえり、お先に」
 そう言ってビールの缶を持ち上げる。
「あ、なんだよ。人が買い出しに行ってるときに始めちゃうの?」
「まあまあ、じゃあ改めまして」
 二人に缶ビールを渡すと乾杯をする。尾崎くんはビールを一口飲むと、スーパーの袋から買ってきた袋菓子とチューハイを取り出しテーブルに置いた。
「俺は食べ物つくるね、キッチン借りるよ」
 そう言って台所に行った。まもなく台所からいいにおいがしてくる。
「それ、何見てるの?」
 加川くんが木下の携帯を指していった。
「ああ、俺が正月に高校のときの連れと遊んだときの写真」
 そう言うと携帯を差し出す。
「彼は、この前のライブのときに会ったね。この女の子のほう、なんとなくえりに似てるなあ」
「そうだろ? 俺このまええりちゃんに会ったときびっくりしたんだよ」
 木下はレイコちゃんと清水谷くんについて加川くんに話し出した。
「でさ、清水谷は意外にもこいつに惚れてるわけよ。なのにこいつは冷たくしてるわけ」
 そう言うと親指で私を指す。のんびりと横で聞いていた私は不意を着かれてあわてた。
「別に冷たくなんか……」
「まあ、お前が多少つれなくても清水谷は十分うれしそうだからいいんじゃない」
「へえ、そうなんだ」
 そう言って加川くんは特に動揺することもなく口の端をあげて笑っている。そんな様子に私のほうが動揺しそうだった。そこに尾崎くんが料理を持って戻ってきた。チャーハンとサラダとイカの炒め物。どれもおいしそうだ。
「いただきます」
 みんなで一斉に箸をつける。どれもおいしかったけどイカは絶品だった。口々にうまいうまい、という私たちに、尾崎くんも満足そうだった。
「で、何の話してたの」
 尾崎くんが話に加わる。
「いやあ、俺の友人があきに一目ぼれでさ」
「その話はもういいってば」
「え、萱野さんに? めずらしい奴だね。矢口さんならともかく」
 尾崎くんはさらりと失礼なことを言う。しかもほんとに驚いたような顔をして悪気がなさそうなので、怒るに怒れない。
「俺はわかるよ、萱野に惚れる気持ち」
 加川くんが私を見て、口の端をあげてにっと笑った。イカが喉に詰まりそうになってうぐ、と声を上げる。
「なにいってんの」
 イカを何とか飲み込んで、そう答えるのがやっとだった。
「なんか小動物みたいで、からかいたくなるよ」
 そう言って加川くんは私の鼻を指で突付いた。ずきん、と甘い痛みが胸に広がる。
「まあたしかにな。それは俺もわかるな」
 木下もふむふむ、と頷いている。ふむふむ、じゃないよといいたかったが、鼻を突付かれた動揺を隠すのに精一杯で、しばらくおとなしくビールを飲んでいた。

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2009/07/06

影山くんの奇妙な日常 第三話

 俺は影山真人、大学二年生。勉強はそこそこにバンド活動とバイトに勤しむ毎日だ。
 バンドではボーカルをやっていてそこそこ人気がある。そして自分で言うのもなんだけど結構もてる。逆ナンだってけっこうされる。バンドをやっているのでこちらが知らない人にも名前を覚えられていて、いきなり声をかけられることもしばしばだ。
 あれは去年の十月、駅前の楽器店を目的もなくうろついていた時だった。
「あの、影山くん?」
 不意に声をかけられ、またかなと反射的に営業用スマイルをつくると、声のほうを向く。
「そうだけど? 何か用?」
 声の主はきれいな女の子だった。同い年くらいだろうか、ちょっと大人っぽい雰囲気もあって少し年上ぐらいかもしれないと思った。その子に見覚えはなかったけれど、美人なので悪い気はしなかった。
「知り合いに木下譲二っているでしょ?」
 彼女の言葉は俺の期待に反していたけれど、珍しいことではなかった。同じバンドのメンバーに伝言やなにかを渡してくれと頼まれることもよくあることで、それはメンバーの中でも人気のある木下がダントツに多かったからだ。
「うん、木下になんか伝言でも?」
 なんだ、木下のファンか、とちょっとがっかりしつつも笑顔を保ったまま問いかける。
「よかった、うろ覚えだったから。譲二のバンドのボーカルさんだよね? 私、レイコって言います。譲二と芸くんの友人なんだけど……。二人は元気?」
「ああ、そうなんだ。二人とも元気だよ。なんならここに呼ぼうか?」
 そう提案すると、レイコは少し考えて首を振って言った。
「ううん、いいの。それより今時間があるならちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれない?」
 俺も特に予定がなく、時間を持て余していたから、近くの喫茶店に入ることにした。
 二人ともコーヒーを頼む。注文が済むと、レイコが口を開いた。
「私、バンドに興味があって、やってみたいんだけど、誰か紹介してくれないかな?」
 唐突に彼女はそんなことを言った。そしてこう付け加えた。
「初めて会った人に急にこんなこと言うの図々しいよね、ごめんね。さっきの楽器屋でよさそうな人に声かけて見ようと思ってたんだけど、目に付いた人が影山くんだったから」
 レイコはちょっと眉を寄せて申し訳なさそうな顔をする。
「バンドメンバー探している奴なら何人か当てもあるし、そこそこ腕がある奴もしってるし、それにレイコちゃんみたいに可愛い子ならみんな大歓迎だと思うけど……。木下や清水谷に相談してみた?」
「ううん、二人には三年以上会ってないことになるのかな。それにもう、二人とは連絡取らないほうがいいんじゃないかと思ってるとこもあって……」
 そう言うとレイコは目を伏せた。なにか木下と清水谷どちらかわからないけどわけありのようだ。そして女性に頼られると無下にできないのがこの俺だ。
「わかった。木下たちには内緒で心当たりに声かけてみるよ。連絡先を教えてくれる?」
 そう言って俺は携帯を取り出した。
「ありがとう!」
 レイコは満面の笑みで礼を言うと、携帯を取り出し番号を交換した。
 程なくして俺は大学の友人を紹介してやり、レイコは顔合わせの後、無事にバンドをはじめたようだった。レイコからはいい人たちを紹介してくれてありがとう、と言うメールが届き、紹介した大学の友人たちもすごく歌もギターもうまくていい子だと喜んでいて、満足した俺は日常に追われ、レイコのことをすっかり忘れていた。

 クリスマスライブのチケットを捌いているとき、ふとレイコのことを思いだし、すぐに電話をした。
「十二月二十三日なんだけど、どう?」
 そう言うとレイコは声を弾ませて、
「うん、いくいく!」
 といい返事をした。俺は誘ってよかったと思った。
「じゃあ、ライブ始まる前に待ち合わせしよう。チケット渡すからさ」
「了解」
 ライブ当日、俺とレイコはライブハウスの近くのファーストフードで待ち合わせをした。
 俺がライブの準備を終えて抜け出してくと、レイコはもう窓際の席でコーヒーを飲んでいた。
「おまたせ、これチケット」
 向かい側の席に座るなりチケットを差し出す。
「さっきライブハウスの前まで行ったけどすごい並んでたよ。人気あるんだね」
 レイコはにっこり笑うと、チケットを受け取りながらそう言った。
「いや、あれは対バンしてるバンドのファンだよ」
 そう言って謙遜しつつも、ちょっとうれしくなる。
「よかったら、打ち上げにもおいでよ」
 そう言って誘うと、レイコは首を振った。
「いいの、明後日私もライブがあって。明日練習だしゆっくりできないから」
「木下や清水谷に会っていかないの?」
 そう聞くとレイコはまた首を振って黙った。俺は何となく気まずくて話を変える。
「そっちのバンドの調子はどう? 明後日はどこでライブやるの?」
「うん、Pランドでやるんだけど路上ライブだからもし時間があれば。本当にバンド楽しくって。でもせっかく紹介してもらったんだけど、実は私の都合で三カ月限定のバンドにしてもらったんだ。だから今回が最初で最後のライブになるかもしれないけど」
「そうなんだ。クリスマスは俺バイトだわ。ケーキ配りの。すごい残念だな。また機会あったらぜひ」
 そんな感じで少し雑談をすると、俺は、じゃあまたあとで、と言い、またライブハウスに戻った。
 ライブが始まるとステージの上から彼女を探した。一番後ろのほうにポツンと立っているのが見えた。出番が終わるとその場所まで行ってみたけど、すでに帰ってしまったようで、彼女の姿はなかった。

 久しぶりにメールが届き、レイコに会うことになったのは年が明けてすぐのことだった。待ち合わせは、初めて会ったときと同じ駅前の喫茶店だった。
「いろいろお世話になって、ありがとう」
 顔を合わせるなり、レイコはそう言って笑った。もうどこかへ行ってしまうような口ぶりだった。とりあえずどういたしまして、と応じる。
「そういえばPランドのライブの日、譲二たちに会った。デートしてたみたい」
 レイコは少し寂しそうな顔をした。ちょうどいい機会だと俺は、前から思っていた疑問を口にした。
「あの、レイコちゃんと木下と清水谷ってどういう関係なの?」
 尋ねるとレイコは本当に悲しそうな顔をした。
「私、そう、私ね、譲二の婚約者なの」
 そう言うと薬指に光る指輪を見せた。
「ええ? 婚約者? あいつそんなこと一言も……」
 俺は彼女の急な告白にびっくりして口ごもった。木下は俺と同じでまだ二十歳だし大学生だ。それに木下には実花ちゃんという仲のいい女の子もいる。
「うふふ、といってもまだ今は婚約してない」
 そう言ってレイコは笑った。俺をからかって楽しんでいるかのような口調だ。どういう意味だろう。この子少しおかしいんじゃないのか。もしかして木下のストーカーか何かだったのだろうか? 俺は少し気味悪くなっていた。
「私、もう何年もいろんなところを転々としててね。影山くんにはなんか思い出話をしたくなっちゃった。きいてくれる?」
 真剣な、縋る様な目つきでこんなことを言うレイコを、俺はとにかく刺激してはいけないような気がして、ただ頷くしかなかった。
「私と譲二は、二十四歳のときに出会った。楽器メーカに勤めてて同じ部署で働いてたのよ。それで意気投合して、付き合い始めた。婚約して、仕事も慣れてやりがいを感じられるようになって、これからって時に、事故にあってしまった。それからいろいろなところに飛ばされるようになった」
「飛ばされる?」
 俺は思わず聞き返していた。話の先が見えず混乱してきた。
「そう。タイムスリップ。信じられないでしょ? 初めは高校時代に。でも自分の家に行ったら、もう一人の、高校生の自分がいて、普通に生活をしていた。だから居場所がなくなってしまって、どうしようか悩んだ末に、譲二に会いたくなってH市で暮らすことにしたの」
「ちょっと、まって。仮にその話が本当だったとして、住むところも着る物もお金もない状態だろ? どうやって生活してたんだ?」
 俺は疑問に思ったことをそのまま口に出して尋ねていた。
「とりあえず、財布にお金があったんだけど、お札が変わってしまっていたから小銭しか使えなかった。カードももちろん使えなくて。それでH市に移動してからしかたなく水商売をしたの。お店の寮に入って、切り詰めて生活したら結構すぐにお金が貯まった。寮を出て一人暮らしして、譲二とも偶然ぽく知り合えて、楽しく暮らしてたんだけど、三ヶ月ぐらい経ったらまた別の時代に飛ばされちゃって。いままでいろんな時代を転々としてる」
 そこでレイコは言葉を切って俺の顔を見た。
「信じられない……」
 俺は思わずそうつぶやいていた。レイコは少し笑うと、
「そうでしょうね」
 と言った。そして一枚のお札を取り出した。
「これは私が事故にあった時代に使われていた千円札よ。私のことはこれを大事にとっておけばそのうちわかるわ」
 お札にはある学者の顔が印刷されていて、今までに見たこともないものだったが、確かに日本銀行券と印刷されていた。
「そろそろいかなくちゃ、これ、お世話になったお礼に」
 レイコは三十センチ四方の紙袋を差し出した。中には小さな充電式のアンプが入っていた。
「これ……」
「私にはもう、使えないものだから。じゃあ、またね」
 そう言うとレイコはコーヒー代の小銭をおいて席を立ち、喫茶店を出て行った。俺は急いで会計をすると後を追って喫茶店を出た。見通しのよい大通りだというのに、すでにレイコの姿は見当たらなかった。
 レイコに楽器店で声をかけられてから、ちょうど三ヵ月が経っていた。
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